RHYME SYNDICATE COMIN’ THROUGH!!

ウェストコーストで初めてメジャーレーベルと契約したギャングスタ・ラッパーにして、歌詞検閲団体PMRCによって「Parental Advisory」のステッカーをアルバムに貼り付けられた第1号アーティストでもあるアイス“MotherFuckin’”T。映画俳優から、TVショーの司会、オリジナル・ギアの販売に自伝執筆、ロック・バンドのヴォーカル(ボディ・カウント)、CDのインターネット先行販売など、数々の部門のパイオニアでもある彼が顔役となるライム・シンジケート。その組織は、80年代後半より段階を追って成長を遂げてきた。

ジョースキー・ラヴのクラシック「Pee Wee’s Dance」のPVにカメオ出演した1986年にワーナー傘下の“サイアー”と契約したアイス・Tはアフリカ・バンバータ率いる“ズールー・ネイション”のメンバーでもある友人のアフリカ・イスラムと自分たちのマネージメント・プロダクション“ライム・シンジケート・マネージメント”を立ち上げ、2nd『Power』(‘88)リリース時にそれは、レーベル機能を加えたものにビルドアップされていた。『Rhyme Syndicate Comin’ Through』と題されたレーベル・ショウケースが公開されたのも同年のことである。名優デニス・ホッパーが初めてメガホンを執ったハリウッド映画『カラーズ』のテーマ曲を担当し、その名を世界中に知らしめていた彼は、88年以降同レーベルよりドナルド・Dやエヴァーラスト、ディヴァイン・スタイラー、ロード・フィネスらのアルバムを送り出すのだが、そこには後にアイス・キューブ、マック10とウェストサイド・コネクションを結成するWCと“’89年度のDMC世界2位のスキルの持ち主”DJアラジンのユニット=ロウ・プロフィルや、サイプレス・ヒル(マグスは7A3時代からアイス-Tの世話に)、LL.クール・Jの元DJでもあるバトルキャット、ズールー・キングス出身のブロンクス・スタイル・ボブ、『ワイルド・スタイル』でもお馴染みの大物グランドマスター・キャズ(コールドクラッシュ・ブラザース)、UKのハードコア・グループ=ハイジャックなど、実に個性豊かで、人種、エリアを超えた、言うなればユニヴーサル・ズールー・ネイションの流れ、思想(True HipHop!)を汲むものだった(アイス自身、ニュージャージー生まれで、アフリカン・アメリカンとクレオール系の混血だったりする)。実際に彼がそのライム・シンジケートという旗の下で実践してきたことは、「自分と同じようなギャング上がりの若者たちをスタッフとして雇い入れ、堅気の人間として実社会と関わらせる」ということだった。ドクター・ドレーやスヌープ・ドッグ、2パックなどの黄金のカタログを持つ、90年代に一世を風靡したレーベル“デス・ロウ”が、NWAのリーダー=イージー・Eの“ルースレス・レコーズ”ではなく、ライム・シンジケートこそをロールモデルとしたのは知る人ぞ知るハナシだろう。その“デス・ロウ”の音源をマスターミックスしたDJ YUTAKAがその『DJ YUTAKA PresentsDEATHROW MASTER MIX』のジャケット写真で“S”マークのベースボール・キャップをかぶっていたのには、そんな意味もあったのだろう(ライム・シンジケートを忘れるなよ!という)。そう彼こそがライム・シンジケート(およびズールー・ネイション)初の日本人アーティストなのだから。
LAの悪名高きクラブ「Water The Bush」でプレイした初の日本人である彼は、先のアフリカ・イスラムの勧めでズールー・ネイションの運営するインターナショナル・クラブ「United Nations」のオフィシャルDJとなり、また“インタースコープ”や“モータウン”とも契約(ポエテスのアルバム等に参加)。90年代の大半を、LA YUTAKAとして同地のシーンに関わってきた彼は、そこで得たものを日本に持ち帰り、2009年“活動30周年”の時を迎えたのだが、同時に“今こそ甦らせたい!”と思ったのがそのライム・シンジケートのオリジナル・ウェアだった。常に“尊敬する人物”のトップにOG=アイス・Tの名を挙げ、その義理人情に厚い西のパイオニアとの関係を続け、過去A.S.A.Pでの実績もある彼は、2007年から「SYNDICATE NIGHT」を主宰し、名実共に日本で唯一その看板を背負える存在として業界に君臨しているのだが、「それを自分たちだけのものにするのは勿体無い!」とばかりに先シーズンからリバイバルさせたのである。1990年、つまりアイス・Tが初来日した年に生まれた同ブランドは、あらゆる意味でスペシャルなものだった。

まず、今でこそジェイ・Zのロカウェアを筆頭に“アーティスト・ブランド”は珍しくないが、当時はまさに画期的なものだった。しかも当初それはオリジナル・メンバーや、プロスケーターのクリスチャン・ホソイ他、アイス・Tに認められた人間しか着用出来なかったのである。シンプルゆえにカッコいい“SYNDICATE”のレタリングや、LAのアーティスト御用達のオークランド・レイダース(NFL)のマークをサンプリングし、スカルとライフルをあしらった例のロゴなど、白と黒を基調とするライム・シンジケートのウェアはストリートの若者たちの憧れの的だった(1992年に本格上陸)。Tシャツから始まり、重衣料へ、という展開もストリート・ブランドらしく、またWネームの先駆けとして、ワーク・シャツは老舗「FB COUNTY」、ブラック・デニムは「Lee」、という感じでボディにこだわった“物作り”感覚は、オリジナル・ボディで作られる現在もしっかりと受け継がれているはずだ。熱かったあの頃を忘れないオリジナル・シリーズだけでなく、“今の時代に合ったアレンジ”が施されているのも、言うまでもない。それはあのDJ YUTAKAがプロデュースする以上“間違いない”のである。シンジケートのお通りだ!
                          
Text 二木崇(D-ST.ENT)

SYNDICATEを代弁していただきありがとうございました 二木 崇氏 May your soul rest in peace.

1990年LAにてICE-T、DJ YUTAKA、AfrikaIslam、Donald D、Grandmaster Caz、Everlast(House of pain)、等その他錚々たる人物が発足させた、WEST COAST STYLE(西海岸)のOG集団、RHYME SYNDICATE(ライム シンジケート)のオリジナルウェア。

RHYME SYNDICATE(ライム シンジケート)の当時オリジナルメンバーで、日本でも大変有名なDJ YUTAKAのプロデュースにより、約10年と言う時を経て再び日本に上陸!!

シンプルな大人のB系、ストリート系ファッションを演出。

沿革 - HISTORY -

1990年

アメリカLAにて発足

1992年

日本での販売を開始

2007年

クラブで「SYNDICATE NIGHT」開催

2010年

東京ビッグサイトにて展示会
SSコレクション

2011年

3月:震災の次の日に福島県にて災害ボランティア
各方面の援助で物資、トラック、ガソリンを確保し現地へ

2011年

10月:東日本大震災被災者チャリティーイベント「SPLIT LOVE」

2011年

12月:SHIBUYA-AXにて「SAVE THE HIPHOP REHERB」開催

2012年

BLACK FLAMEとCollaboration企画

2013年

10月:渋谷MODULEにて「東京REP」開催
行列で入場規制

2020年

30th Anniversary
Don't Believe the hype

2023年

HIPHOP 50th Anniversary

2023年

RHYME SYNDICATE Official HP Renewal Open
Keep It Real

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